May 07, 2008
「自分で歩く力」

右のサイドバーに
SAYAが去年からはじめた
女の子2人のユニット
PANSAKUの活動状況を綴ったブログを載せたので
よかったらどうぞ!!
アコースティックギターとパーカッション、ピアノ。
今日はそのSAYAの記事。
続きを読む前にクリックをよろしく。

「自分で歩く力」 Saya
人はどうやって自分の足で
歩けるようになると思いますか?
これは私の体験から話すことだけど、
私はどちらか言えば、自分の足で歩けるほうだった。
でも、一人で歩きながらも、
不安でしょうがなかった。
一人で歩けるんだけど、
一緒に歩いている人はいなかった。
一人で歩いて、つまずくと、
一人で耐えた。
だから、周りの人からは、
「強い人」と思われていた。
でも、心の中は、いつも不安で、
自分は、自分が弱いことを一番よく知っていた。
そんな私が求めていたのは、
一緒に歩いてくれる人。
でも、一人で歩いていたのは、
まだ子どもの自分だったから、
なかなか自分から「助けて」
と、言えなかった。
と、言うより、
「助けて」と誰かに求めることすら頭に浮かばなかった。
だから、いつも強そうに歩いている私も、
実は孤独の中にいた。
でも、そんな孤独から出たいと思っていたとき、
外から声をかけてくれる人がいた。
その人は表の自分ではなく、
本当の私の姿を見てくれていた。
そして、何よりも、その人は一緒に歩いてくれた。
私は初めて、
本当の意味で、「自分で歩く力」を得た
不思議と、もう不安ではなかった。
孤独でもなかった。
今までのように、
一人で歩いているように見えて、
一人ではなかった。
人は誰でも、一緒に歩く人が必要。
そして、それを子どもの頃に体験できたのなら、
大人になって、強い足を持つことができる。
安心感の中で、歩くことができる。
「私は一人でも歩くことができます」
そのコトバの裏には、二つの意味あいがあると思う。
「私は今までずっと、一人で歩いてきた。だから私は強い」
か、
「私には私と一緒に歩いてくれた人がいる。だから私は強い」
みなさんは、どちらでしょう?
人はどうやって自分の足で
歩けるようになると思いますか?
これは私の体験から話すことだけど、
私はどちらか言えば、自分の足で歩けるほうだった。
でも、一人で歩きながらも、
不安でしょうがなかった。
一人で歩けるんだけど、
一緒に歩いている人はいなかった。
一人で歩いて、つまずくと、
一人で耐えた。
だから、周りの人からは、
「強い人」と思われていた。
でも、心の中は、いつも不安で、
自分は、自分が弱いことを一番よく知っていた。
そんな私が求めていたのは、
一緒に歩いてくれる人。
でも、一人で歩いていたのは、
まだ子どもの自分だったから、
なかなか自分から「助けて」
と、言えなかった。
と、言うより、
「助けて」と誰かに求めることすら頭に浮かばなかった。
だから、いつも強そうに歩いている私も、
実は孤独の中にいた。
でも、そんな孤独から出たいと思っていたとき、
外から声をかけてくれる人がいた。
その人は表の自分ではなく、
本当の私の姿を見てくれていた。
そして、何よりも、その人は一緒に歩いてくれた。
私は初めて、
本当の意味で、「自分で歩く力」を得た
不思議と、もう不安ではなかった。
孤独でもなかった。
今までのように、
一人で歩いているように見えて、
一人ではなかった。
人は誰でも、一緒に歩く人が必要。
そして、それを子どもの頃に体験できたのなら、
大人になって、強い足を持つことができる。
安心感の中で、歩くことができる。
「私は一人でも歩くことができます」
そのコトバの裏には、二つの意味あいがあると思う。
「私は今までずっと、一人で歩いてきた。だから私は強い」
か、
「私には私と一緒に歩いてくれた人がいる。だから私は強い」
みなさんは、どちらでしょう?
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この記事へのコメント
1. Posted by うっちー
May 07, 2008 17:51
2. Posted by たんぽぽ
May 08, 2008 16:23
そうですね。。でも、私みたいな娘と一緒に歩ける人ってかなり特殊性のあるほんのひとつかみの人だけだと思う。一人は天国の主人と、それからその後出会った不思議なご夫婦。。。そんな人が近くにいてさえ、いつも心が一人歩き、壁を作ってしまうかな。
PANSAKの視聴できる曲聴いてみたけどとってもよかった。。
PANSAKの視聴できる曲聴いてみたけどとってもよかった。。
3. Posted by よよ
May 09, 2008 23:40
私は、ずっと独りで歩いてました。
自分自身が弱く脆いことを感じながら、誰も助けてくれる人も居なかったから、独りで歩いていくしかなかった。
助ける 助けてもらう という本当の意味も理解していなかったから、負けたくなくて不安でいっぱいでも頑張って歩いてきた。
助けてもらう という体験を重ねていく度に少しずつ少しずつ、負ける意味が違う事が分かってきて、自分だけで解決出来ない事が恥ずかしい事ではないのも私には救いになっています。 子供の成長と共に自分自身の問題が浮上してくるけど、何もかもを独りでやらなくていいと思うと全身の力が抜けていく。
後少し後少しで私には自由が近づいている!と不安に陥る度に、希望を思いだし、今の家族と共に歩いている私はひたむきで可愛い。って思う。
自分自身が弱く脆いことを感じながら、誰も助けてくれる人も居なかったから、独りで歩いていくしかなかった。
助ける 助けてもらう という本当の意味も理解していなかったから、負けたくなくて不安でいっぱいでも頑張って歩いてきた。
助けてもらう という体験を重ねていく度に少しずつ少しずつ、負ける意味が違う事が分かってきて、自分だけで解決出来ない事が恥ずかしい事ではないのも私には救いになっています。 子供の成長と共に自分自身の問題が浮上してくるけど、何もかもを独りでやらなくていいと思うと全身の力が抜けていく。
後少し後少しで私には自由が近づいている!と不安に陥る度に、希望を思いだし、今の家族と共に歩いている私はひたむきで可愛い。って思う。











