服部雄一:人生を語る

August 01, 2006

「ライブをやったぁ!」服部雄一5

495f0458.JPGこれは誰か?










今日の内容は

雄ちゃんがバンドに挑戦した話。


心理学者がビートルズを歌う。

おもしろ〜〜〜い。



実はオレも若いときは

フォークグループ持っていて、歌っていたんだわ。

でも結婚して、子どもが音楽やり始めてや〜めた。

うちは音楽家族。

でもオレ一人だけ

才能が芽生えなかった。


めいちゃんはクラシック系で

  ボランティアーピアニストしてるでしょ。


長女はソングライティング、アレンジャー、

    「Damaged 」のCDのようにボーカルする。

次女はあのとおりドラマー、そして曲作りと

    だいたいの楽器もこなせるでしょ。

あの子たちが小さいとき

  オレが気持ちよく歌ってると、

 「おとうさん、音がずれてるよ。」とよく言われた。

  あれ〜〜〜っ。。。

  絶対音感があるので分かってしまうのだ。

   そこで、
     
    家族の中で能力ないのを認めて

      早めに引き下がってしまった。

  でも音楽は音を楽しむって書くんだよね。


さ〜〜て、

  雄ちゃんがやったライブの話を聞こう!

  それだけじゃない。

  何だろう。。。。???



☆ 読んでくれてありがとう。

★ 雄ちゃんが庶民の文章を書き始めたぞ!
  学者から庶民に変身した。。。
 「続きを読む」前に2カ所のクリックよろしく。
  
     

毎回クリックしてね


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ





続きを読む

josie777kaihou at 08:00|PermalinkComments(17)TrackBack(0)clip!

May 25, 2006

台湾の親戚 服部雄一

92b93704.JPG









「台湾の親戚」服部雄一

台湾に5月15日から4日間滞在した。

私は日本から行き、

アメリカに住む妹と

姪二人(30歳と28歳)はロスアンゼルスから行き、

おじさんの家に滞在(一階が日本レストランの4階建ビル)。


80歳の母は自分の死後も親戚のつながりを続けて欲しいと、

日本に住む息子とアメリカに住む娘を親戚に紹介したのだ。

場所は高尾空港から車で30分ほどのヘイトウという町。

母はこの町で生まれて18才歳まで過ごした。

活気のある地方都市という感じで、

昔は日本人が統治する田舎町だった。

私にとっては30年ぶりの訪問だった。


4日間の滞在はカルチャーショックの連続だった。

2日目の朝、

  私は妹たちと市の公園を散歩した。


陸上競技場もある広い公園の中では

町の人たちがダンスを練習していた。


あるグループはヒップホップ、

別のグループは社交ダンスを習い、

太極拳をする人たちもいた。


あちこちでバドミントンをして、

公園の建物に入るとジムや談話室があり、

朝の8時にカラオケをしていた。


台湾の人はいつ働くのかとビックリ。

聞いてみると、台湾は暑いので、

町の人たちは早朝に遊んでから仕事に行くのだった。


早朝に遊ぶ習慣はインドネシアにもあった。

公園の台湾人は私たちをジロジロと見る。

すぐに外国人と分るらしい。

小学校からアメリカで育った姪二人は

見かけはアメリカ女性。


30歳のトヨコは

5年前に日系美人コンテストで優勝したほどの美人、

妹のアキコはスラリと背が高い。


二人は英語を話すので周囲の関心をさらに引いた。

若い男性はそんな姪たちを

ジロジロと上から下まで眺めてゆく。


私が目を合わせても彼らは視線を反らさなかった。

ずっと私を見ている。

まるで子供だ。

台湾人のこんな遠慮のなさは

どこで身につけるのだろうか。



私は台湾の子供に興味をもった。

最初の夜、私の部屋でスーツケースを開けていると、

おじさんの6歳の孫が部屋に入って来た。

その男の子は私に絵本を見せながら

しきりに何か話しかける。


通訳してもらうと

「おじちゃん、台湾語は話せるの?」だった。


その子は大人を少しも警戒しておらず、

初めて会った私と一緒に遊びたがった。

日本の子どもには見られない行動パターンだった。


2日目の夜、

ホテルのレストランに親戚20人ほどで会食した時、

7歳の男の子が英語でスピーチした。


父親が

「ジョニー、お前の英語を話してご覧。

この人たちは英語を話すんだよ」と言うと、

男の子は

「紳士、淑女の皆さん、

台湾へようこそ。私は皆さんを歓迎します・・・」

と誇らしげに英語で話すのだった。


すこしも恥ずかしがらない。

その男の子も大人を警戒していなかった。


台湾の子供はなぜ大人を警戒しないのだろうか?

よく観察すると、

台湾の親たちは子供をムシしない。


子供が話しかけると大人は必ず顔を向けて答えていた。

つまり、

台湾の子供は大人とコミュニケーションがある。

台湾人は宴会好きな国民である。

パーティには男だけでなく、

家族全員が参加するので、

台湾の子どもは人に馴れている。


だから子供たちは見知らぬ人を警戒しないのだろうか。

こうした台湾人の人懐っこさは興味深いものがある。


台湾人は話し好きである(私の母も話し好き)。

隣に座ったジョニーの父親は

流暢な英語で話しかけてくる。


建築士の彼は、料理をつつきながら、

台湾の将来を熱心に語る。

「台湾と中国は別の国である」と言い、

「しかし、二つの国が合併するならば

アメリカ合衆国のような連邦制度がふさわしい」

と議論した。


台湾独自の法律を保ちながら、

中国という連邦政府に州として参加すれば、

台湾の独立は保てるしビジネスも繁栄する、

台湾の将来はそこにあると語る。


母によると、

台湾の人たちはジョニーの父親のように

自分の意見を主張する。


それゆえ台 湾では選挙のシーズンになると

家族同士が支持政治家をめぐってケンカをする。

そんな家族同士の対立は選挙が

終わるまで続くという。


日本と違って、

政治家によって国の将来が変わるから無理もないが・・・


中国の侵略を恐れる台湾人は

海外移住に関心が強い。


いとこのツンティ(32歳)は

父のレストランを継ぐつもりだったが、

4年前、母親から

「海外でお前の可能性を追求してごらん」

と言われてアメリカに渡った。


彼はシカゴの大学で

ビジネスとコンピューターを専攻している。

卒業後はアメリカでビジネスをしたいと言う。


彼の母親も「台湾に戻らないでアメリカに住んだらいい」

と薦める。


ツンティは中国人のガールフレンドと結婚して

アメリカに定住する計画をたてている。


台湾の裕福な人たちは

子供をアメリカで教育する傾向がある。

台湾で教育するよりも、

アメリカの教育の方が子どもの将来に良いと考えている。

私の母もそうだが、

海外に可能性を求めるのは台湾人の伝統である。

私は5年前に妻と子どもをカルフォルニアに移住させた。

子どもをアメリカで教育するためである。

それは日本人には珍しいことだが、

台湾人にとっては日常的なことだった。


今回の訪問によって

私の中に台湾文化の影響があることに気づいた。

私の人懐っこい性格、

バーティ好き、

自己主張の強さ、

海外生活に憧れる傾向は台湾の影響である。


しかし、

  考えてみたら娘と妹と姪はアメリカ人国籍だ。




つまり、私の家族は日本人、

     台湾人、

      アメリカ人で構成される

        国際ファミリーなのである。



★★「人気blogランキング」 癒しヒーリング 1位
  

   日本ブログ村 メンタルヘルス      1位

  



<この2つのランキング、毎回クリックしてね!> 
   上位に行けると多くの人の目に留まり、
  それが人々を助けることになります。
    「ぽちょ」っと押すのを忘れないでね。
  

毎回クリックしてね


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ



josie777kaihou at 09:00|PermalinkComments(7)TrackBack(0)clip!

April 22, 2006

中学の思い出「女の子について」服部雄一5

57fb7c67.JPG春を待つ北海道
旭川郊外









中学の思い出「女の子について」服部雄一


中学時代を考えると

   いつも女の子のことを思いだす。

当時の私は性に目覚めて、

   女の子に強い関心を持っていた。


女の子が側にいると胸がドキドキして、

女の子が時折見せる意味ありげな視線に

         心がかきむしられた。


当時は60年代初期のオールディズが流れる甘い時代でもあった。



中学一年の5月、

とびきり可愛いい女の子がクラスに転校してきた。



名前は鈴木ゆかり(仮名)。

他のクラスの男子生徒が見に来るほど可愛いい少女だった。

担任は彼女が私の隣に座るように命じた。

この信じられない幸運に私は有頂天になり、

彼女にいつも話しかけて関心を惹こうとした。



ある日、彼女に「鈴木、好きな男の子がいるの?」と訊くと、

彼女は「服部君はいるの?」と訊き返してきた。

私が「自分の前の左隣の後ろの人」と言うと(それは彼女こと)、

鈴木ゆかりは「私も同じ」と答えた。

それは私の初恋が成功した瞬間である。


それからは私たちはいつもお互いを意識した。

朝礼のためにクラスから校庭に行く時など、

一緒に歩く彼女の手が私の手に触れると、

体の中に電気が流れるようなショックを感じた。


彼女の姿がまぶしく、

私はやがて「一度でいいから彼女とキスしたい」

という思いに取り付かれた。



7月になると川越の浅間神社では大きな夏祭りがある。

私は祭りの晩にキスするのがいいと考えた。

そして、祭りの夜に神社の裏で彼女と二人で会う約束をした。



その晩が来ると、私は「絶対にキスするぞ」と固く決心して、

ウキウキしながら約束の場所に行った。


夜店の明かりの中から

鈴木ゆかりがニコニコしながら

     「服部君」と声をかけてきた。


「やった」と喜ぶのもつかの間だった。


なんと、彼女の後ろには

   4,5人のクラスの女の子がいたのである。


「ああ、ダメだ」と心底ガッカリしながら、


私は女の子のグループの後をとぼとぼついていった。


中学二年になると別のクラスになったが、

鈴木ゆかりは

    私の陸上の練習をよく遠くから見ていた。


私はハードル選手で陸上部の中では一番早かった。

ハードルの練習をする時には

      どこかに彼女の視線を感じた。


秋になるとクラス対抗のスポーツ大会があるが、

彼女が応援に来てたおかげで

      走り幅跳びは校内一位となる。


運動会のクラス対抗リレーでは

「服部君、頑張って」と叫ぶ彼女を横目に、

私は2,3人を追い抜いてクラスを優勝に導いた。


彼女が見ていると

実力以上の力がでるのは自分でもびっくりした。


中学生ながら「女の力はすごい」と思ったものである。


しかし、中学3年も別のクラスになり、

鈴木ゆかりと会う機会は少なくなった。


受験勉強は厳しくなり、私は退屈して、

他の女の子に目が行くようになった。


そんな頃、私は木村昌子(仮名)

という一級下の女の子に惹かれ始めた。

彼女の夢見るような瞳が私の心を捉えたのだ。

そして、鈴木ゆかりの時と同じように、

私は木村昌子のことが頭から離れず

勉強が手につかなくなった。


親友の石井に相談すると

「服部、付き合ってくれと言えよ」と言われ、

私がそう決心すると、

石井は放課後に木村昌子を連れて来てくれた。


教室で二人きりになり

「僕と付き合ってくれないか」と言うと、

彼女はもじもじしながら

「付き合うってどういうことですか?」と訊く。


「一緒に帰ったり、学校の外で会うこと」

  と言うと、

彼女は「お断りします」と言って

         教室から出て行った。


それが学校中の話題になった。

数日後、私は鈴木ゆかりに呼び出され

「服部君、うわさは本当なの?」

 と訊かれ、

正直にそうだと言うと彼女は

「服部君に今まであげたもの

       全部返してちょうだい」

と怒られた。



クリスマスや誕生日になると

彼女は私に刺繍入りのハンカチとか

万年筆をプレゼントしたのである。


しかし、

  家に帰って机の中を見ると

  何一つ無かった。


それを話すと彼女は本当に怒ってしまい、

それ以来口をきいていない。

その後、匿名の手紙が来た。


開けてみると

「私はあなたを好きですが、

でも女の子に気が多いので嫌いです」

と書いてあった。


手紙は鈴木ゆかりが書いたに違いなかった。


鈴木ゆかりを裏切ったのは悪いことだ。

でも、

思春期の少年が

 女の子に目移りするのは

  自然なことだと思う。


これは少年が成長するプロセスである。


後で気づいたことだが、

アメリカ人の友人たちも

同じような少年時代を持っていた。


彼らも中学時代に性に目覚め、

色んな女の子に夢中になり、

好きな子とキスしたとかしないとかの

青春時代を送っている。

中学や高校で

異性に好かれるのは

  とても大切な体験である。



その後の異性関係に大きな影響を与える。

自分が女性に愛される価値がある

と気づくのは

私にとって意味のあることだった。







★★「人気blogランキング」 癒しヒーリング 1位
               健康と医療   2位
  

   日本ブログ村 メンタルヘルス      1位

  



 <この2つのランキング、毎回クリックしてね!> 
上位にいくと多くの人々の目にとまり癒しが広がるので、お願いね。
クリックして中に入り、中からクリックしてもとに戻るといい。ありがとう! 

毎回クリックしてね


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

josie777kaihou at 09:00|PermalinkComments(24)TrackBack(0)clip!

April 04, 2006

「妻との出会い」服部雄一5

1224cdc3.JPG近くの海
三谷海岸





「妻との出会い」


最近、

ブログのコメントを読むたび

「自分は日本人ではない」と感じています。

自分は外国人のように感じ方と考え方が違います。

あれこれ考えると、

「自分は見かけは日本人だが心は外国人」という結論が出る。

そもそも私は日本的な家庭で育っていない。

母は自己主張の強い台湾人、

父は映画の寅さんのように世間からズレた日本人。



日本的な上下関係のない家庭で育った私は、

 ジョシーやブログの仲間とは違う子供時代を持っています。


私の過去の体験は皆の役立つかもしれない。

これからシリーズで紹介します。



まずは妻との出会いから。

私がXXX(妻は恥ずかしいから匿名を希望)と会ったのは

大手コンピューター会社の沼津工場でした(アメリカに留学する前)。

2年間のインドネシアの駐在から戻って

派遣されたのがコンピューター文献の翻訳の仕事。

マラリヤや性病に苦しんだ原始的な生活に較べると

、沼津は天国でした(スマトラのジャングルの田舎町には

         電気も水道も下水道も無かった)。


温暖な気候と駿河湾が目の前に広がる山の中腹に

           7階建ての工場があります。

5時半に仕事を終えると、

   体育館でラケットボールで汗をかき、

          週末はヨットに乗る優雅な生活。


私の周りには職場の若い人が集まり、

東京からはヨット仲間が泊り込みで遊びに来ました。

会社が借りた3LDKのマンションは

   「服部サロン」と呼ばれ、

   週末になるといつもパーティで賑わいます。

妻と会ったのはその頃です。


最初に会った時、

とっさに口から出た言葉が

「僕を好きにならないように気をつけた方がいいよ」でした。


彼女は目を丸くして

「あなたのように図々しい男を

    好きになる女なんているかしら」と反論します。


「そんな気楽な口をきくと、

    なおさら僕を好きになる。

     気をつけた方がいい」とたたみけると、

彼女は「あなたと話すと頭がおかしくなる」と

       プリプリ怒って行ってしまいました。


私は彼女の打てば響くようなところが気に入りました。

後ろ姿を見ながらとても良いフィーリングがあります。


当時の私は、

 東京本社(翻訳出版社)に勤務する女性と交際していました。

アメリカに留学した女性ですが、
      
        どこか心が通じません。


彼女に物足りない私は、

    沼津工場の女性たち
 
(ほとんど沼津出身で美人が多かった)ともデートしたけれども、

    自分を惹きつける女性は現れなかった。


私は、自分に反論できるような

        自我のしっかりした女性が好きでした。


これは外国人に多いタイプです。

逆に、自分の考えを表現しない控えめな女性が苦手で、

    一緒にいると無視されたように感じて、

            密かにイライラします。


外国人の女性との交際経験がある私は

「自分は日本の女性と合わないかもしれない」

           と思い始めていました。


そんな訳で、個性がはっきりした妻に惹かれて、

目がだんだんとハート型になっていくのが自分でも分ります。


その後、彼女に電話で話すようになり、

やがてデートに誘いました。

私は彼女といるとリラックスして、

    ジョークをよく言い、楽しい時間になります。


深い部分で通じ合えると感じた時から、

   彼女を愛するようになり、

     やがて週末を二人で過ごすようになりました。


彼女と交際した頃、私は自分の進路で悩んでいました。

翻訳と通訳の仕事は給料は良いけれども好きではなかった。

私はこの仕事を一生続ける気はなかった。

新しい方向として、

   私はアメリカで心理学を勉強したいと考えていました。


当時の私は心理学は日本にもっと必要になる、

   35才は転職の最期のチャンスだと思いつめていました。


私は留学する決心を彼女に話し、

アメリカに来るように言いました。

彼女は会社を辞める決心をしてくれました。



私は1985年5月7日にロスアンゼルスに出発。

   妻は私を追って一ヵ月後に渡米。

私たちはダウンタウンの韓国人街のアパートに住み、

   12月18日にロスアンゼルスの市役所に婚姻届を提出。

披露宴をする余裕などなく、

アメリカ人の職員二人の前で宣誓をしただけの簡単な結婚式です。


私たちは12月の雨の降る日にバーバンクの一軒家に引っ越し、

 暖炉の前で冷えた体を温めながら、

         将来について話したものです。


当時は何もないが夢だけがありました。

私はバイク(ホンダ・シャドウ500)が好きで、

週末になるとで郊外の山々や避暑地に行くのが楽しみでした。


彼女を後ろに乗せてアメリカンタイプのバイクで

 広々したフリーウェイを走るのはすごい解放感があります。


翌年、私はカルフォルニア州立大学

    ロスアンゼルス校心理学部に入学、

   1992年に帰国するまでに娘二人が生まれました。



結婚してから20年経ちます。

妻との関係は今でも同じです。

私たちはよく話をします。

国際電話でほとんど毎日話すし、

   私がアメリカに居る時は、

    近所のスターバックスでコーヒーを飲みながら、

   あるいはハシエンダ公園を散歩しながら話します。


子供たちのこと、

  日本社会のこと、

    アメリカのこと、

      神について、

    ひきこもりの問題など話題が尽きません。


彼女は私の長所と短所をよく知っており、

時々的をついた批判をします。

その時は腹が経つが、

 後で考えると正しいのはいつも彼女です。

悔しいけれども、妻が正しくて、

   私が間違っているパターンは20年間続いています。


彼女は私の人生において不可欠な存在。

だから「君がいないと僕はやっていけない」

   と正直に言います。

時々、「どうか僕を捨てないで欲しい。」

   と冗談を言うと、彼女はよく笑います。



自分は分らないけれども、

こんな私は日本の男性と違いますか?




もし違うならば、どこが違うか教えてください。

興味があります。















★★「人気blogランキング」 癒しヒーリング 1位
               健康と医療   3位
  

   日本ブログ村 メンタルヘルス      1位

  



 この2つ毎回クリックしてね!  

毎回クリックしてね


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ



josie777kaihou at 10:00|PermalinkComments(72)TrackBack(0)clip!
ルール(まず読んでね)
ジョシーコミュニティの
※ルール※



<ジョシーコミュニティのルール>     1・・・裁かない。責めない。教えない。     2・・・失敗、恥が話せる環境をみんなで保つ。     3・・・互いの気持ちを尊重し、労い励ます。     4・・・誰でも真実な心があれば歓迎する。     5・・・高いところから話さない。みんな平等。     6管理者中心でなく、みんなが中心。     7・・・このブログは広く日本全体の必要の為に開設している。クリスチャン参加者は、どんな人が来ても違和感を覚えることがないために、キリスト教用語を極力つかわないでね。分かってくれてありがとう。。。


大切な一人ひとりへ!
fromジョシー


インディの説明:解離と中の子
カウンセリングについて
▲狭山心理研究所▲ 
埼玉県狭山/愛知御津分室

本当の自分が見つかり
愛され元気になり
復活するための
カウンセリング

潜在的ひきこもり治療
のためのご相談、ご質問は
下記にアドレスにどうぞ!


kokoro@icbc.net



Profile
Categories
☆これまでの講演会☆
マイケル・ジーレンジガー
心の傷を癒す2枚組10曲
個性的なサウンドで、
Ritsuko(ジョシーの長女)が
現代の若者たちの心の
深い部分を代弁して歌う。




Damagedの料金リスト

1枚ー1500円
2枚ー2800円
3枚ー4230円

上記は送料込みの値段です。
4枚以上のご注文の場合は、
ご注文後、折り返し合計の
お値段を連絡します。
料金の支払いは先払いと
なっています。

ご注文は、
件名に「Damaged」
とお書きの上、お名前、
電話番号、メールアドレス
、配送先のご住所、
ご注文枚数を書き、
soundstar
までメールしてください。



Blog内検索
Amazon.co.jp
Amazon.co.jp
Amazon.co.jp
Amazon.co.jp
Amazon.co.jp
TagCloud
Archives
Blog times
Copyright © 2000-2007 ココ楽. All Rights Reserved.