Sayaのコーナー
May 07, 2008
「自分で歩く力」

右のサイドバーに
SAYAが去年からはじめた
女の子2人のユニット
PANSAKUの活動状況を綴ったブログを載せたので
よかったらどうぞ!!
アコースティックギターとパーカッション、ピアノ。
今日はそのSAYAの記事。
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March 25, 2008
心の耳
インド料理タンドリチキン



「心の耳」 By Saya
人ってのは、「耳」がある。
でも、身体的な「耳」と、
精神的な耳である、「心の耳」があると思う。
たとえ、身体的には機能している耳であっても、
心の耳が開いていなければ、
周りの人の声は届かない。
ある人は、この「心の耳」を、
小さい頃にふさいでしまっている。
周りがどんなに優しい声をかけても、
全く届かないことがある。
心の耳が開いていないと
人は変化することができない。
私は、この心の耳は
自ら開くものではないかと考えている。
もちろん、
周りの人たちの温かい言葉も必要だけれど、
心の耳が閉ざされている人は、
その温かい言葉をも跳ね返してしまう傾向がある。
なので、
最終的に心の耳を開くのは、自分自身だと私は思う。
心の耳が開いて初めて、
心の中にできたたくさんの防衛システムを
ひとつづつ 取り除いていくことができると思う。
今日は「心の耳」について話してみました。
***********************
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「心の耳」 By Saya
人ってのは、「耳」がある。
でも、身体的な「耳」と、
精神的な耳である、「心の耳」があると思う。
たとえ、身体的には機能している耳であっても、
心の耳が開いていなければ、
周りの人の声は届かない。
ある人は、この「心の耳」を、
小さい頃にふさいでしまっている。
周りがどんなに優しい声をかけても、
全く届かないことがある。
心の耳が開いていないと
人は変化することができない。
私は、この心の耳は
自ら開くものではないかと考えている。
もちろん、
周りの人たちの温かい言葉も必要だけれど、
心の耳が閉ざされている人は、
その温かい言葉をも跳ね返してしまう傾向がある。
なので、
最終的に心の耳を開くのは、自分自身だと私は思う。
心の耳が開いて初めて、
心の中にできたたくさんの防衛システムを
ひとつづつ 取り除いていくことができると思う。
今日は「心の耳」について話してみました。
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February 12, 2008
他国を想う心


「他国を想う心」
先週私はアメリカに行った。
アメリカに行って改めて思った事だけど、
確かにこの国は、日本のように
裏をかかなくて済む国だと思った。
KYのない国
でも、どうも現地の人たちに
日本のことについて話したら、
アメリカ人でも2 facesで話しをする人はいるみたい。
ようするに二面性があるってことだけど、
でも今回はその話しではないので横に置いといて。
今回アメリカに行って
私ははじめて、
日本以外の国の人々を想う心を持った。
アメリカ人は
日本人みたいに作り笑顔をしないので、
心が病んでいる人は、すぐに顔をみてわかる。
子ども買い物をしているお母さん
でも、子どものことを考える
余裕が心にないことが見えた。
ドラッグにはまったり、
離婚、再婚を繰り返す人たち。
夫のDVに悩む婦人。
頼るところがなくて、
妖精やアニメのキャラクター
によりどころを求める人々。
依存症から立ち直れなくて、
自分を責めている人々。
日本だけではなく、
世界の国々で心の問題は起きている。
去年私はオーストラリアへ行ったときに
今やオーストラリアの田舎の若者達が、
雨が降らなくて、農作物が育たないため、
未来に希望が持てずに
自殺をしている人たちがいると聞いた。
日本にも心の問題をもつ人たちはたくさんいるが
どうも他国でもたくさんいるみたいだ。
でも今回、アメリカへ行って、
自分の国だけではなく、
他の国の人々を想う心も芽生えたので、
自分としては行ってよかったと思う。
Saya
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January 10, 2008
「心のない対応」 Saya


「心のない対応」
私自身がもともと感情凍結の問題をもっていて
その回復途中にあるため、
感情凍結の問題に関しては、特に関心がある。
そういう中で、
やはり多くの日本人は、
感情を大切にされずに育てられた人たちが多いと感じる。
感情のあらわれというのは、
人の心の状態をあらわす症状だと思う。
感情がどのように出ているかによって、
その人の心の状態を見る事ができる。
本来子どもの頃に、母親や父親が、
子どもの感情の現れをみて、
「この子はもっと愛されたいと思っている」
「この子は今、私の注意をひこうとしている」
と子どものことを見てあげる事ができると思う。
時には子どもが何かに対して怒りをもっていたりする。
でも、その怒りの理由を聞いてあげる必要がある。
ただ注意するのではなくて
何故怒っているのか。
その子の気持ちを受け止めてあげた上で、
正しい事、
正しくない事を教えたりするのではないかと思う。
(実際私は子育ての経験がないので、
これは私が今現在思っている子育てですけど・・・)
でも、心の状態を表す手段である感情というものを、
もし押さえられてしまったのなら、
人はどうやって心の状態をあらわすのだろう。。。
それは、無感情になるしかない。
ある人はそこで引きこもる決心をすると思う。
無感情になった場合、
(ここからは私の経験からの話しだけど)
自分の感情を大切にしていないということだから、
当然周りの人の感情も
大切にしてあげることができない。
自分の友だちが
なにか 悲しい事があっても
まったく共感できない。
表面的には「それはとても苦しいよね」
と、口に出せても、
心はついてこない。
私はあるこんな話しを聞いた事がある。
今、サラリーマンの中で
多くの人たちがうつ病にかかっている。
そして国として
対策を練る事が求められているのだけれど、
ある会社では、
上司が社員全員にある用紙を配ったらしい。
それはうつ病の注意についての紙。
その紙だけ配られ、「うつ病に気をつけて下さい」
と言われたようだ。
それで、「私の会社はうつ病対策をしました」
と、報告されても、ほとんど形だけの対策。
当然、それだけではうつ病は防げない。
最近思う事、
それは、
まずは自分の感情であったり、
気持ちであったりを大切にしてあげてこそ、
周りの人のことも
本当にわかってあげれるということ。
そして
このような会社の心ない対応も、
心ある対応に変わると思う。
By Saya
****************
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December 20, 2007
離れない友達 Saya


「離れない友だち」
以前友だちについて書いたと思うけど,
実は私自身、
友だちの意味をわかってなかったみたいです。。。。
いや〜
たぶん、友だちというのはこういうものだ!
と、思い込んでいた
考え方が、結構違ったみたいです。
というのは私自身は友だちに対して、
結構トラウマがあり、
過去に頼りにしてた友だちが、
自分と友だちとの人間関係以外の理由で、
離れていったことが何度もあるのです。
とくにみなさんが知っているように、
私は教会という組織の中に、
子どもの頃からずっといました。
だから、
教会の中でつくる友だちが、
もし教会を離れると、
なぜか、自分からも離れていくのです。
なんの話し合いもなしに。
その初めての体験が、
私にとってはまだ小学校のことだったので、
何がなんだかわからなくて、
ただ友だちが離れるがままに、
自分の中では何も言えずに、
とても心細い思いをした記憶がある。
だから、
お互いに話し合うという事をしなかったのです。
まったく私たち2人の間に
喧嘩があったわけでもないのに。
これと同じような事が、
じつは会社内や、
学校でもおこったりするのを
みなさんも体験したり、
目にしたことがあるかもしれない。
会社の中での同僚との仲は、
一緒に飲みにいったり、
カラオケいったり、
社内では色々仕事上の話しをするのに、
なぜか会社を辞めたとたん、
その人とのつながりも切れるケースが多い。
また、今まで同じクラスだった友だちで、
それも何をするにも一緒だった友だちが、
クラスが変わったとたんに、
すれ違ってもあいさつさえしなくなったなど。
そして私はある時、気付きました。
本当の友だちを作るには、
その組織から出て、
友だちにならないといけないと。
社内の人と友だちになりたければ、
社外で一緒に映画を観たり、
買い物にいったりして
人間関係をつくらなければならない。
その友だちが会社をやめても、
クラスが変わっても、
教会からはなれても、
友だちで、
一緒にいると楽しく、
また会いたいと思い、
時々電話でしゃべりたくなり、
相談したくなるような人間関係なんだ。
と、最近気付いたのです。
今、その新しい友だち作りの体験中です。
saya
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November 28, 2007
「力を抜く事」

今日はSayaの記事、
小さいときからいろいろな楽器を習い、
最後はドラムに落ちついた。
はじめたのは中学三年の終わり頃だった。
高校二年のときから、
プロの先生を紹介されて東京に通い、
そのあとシドニーの芸術スクールで
バンドと組んでのドラムを学んだ。
ドラムはオレには分からん世界だけど、
力を抜いてたたくことを書いてるよ。
思うけど
何処の世界でも、
力が抜けてないと本物じゃないね。
物ごとは楽しんでしているかどうかで決まる。
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November 15, 2007
「自分の心に問題はあるの?」


「自分の心に問題はあるの?」
By Saya
このブログは、心の話しがほとんどなので、
このブログを読む人たちは、
何か自分の心に問題があるのではないか?
と、思ってきていると思う。
最近おもったことなんだけど、
「自分の心に何か問題があるのですか?」
という質問に対して、
私はこう応えれるのではないかと思った。
「自分の心を問題視するかどうかは、
あなた(私)自身が決める事」
人は、「自分の心に問題がある」
っと思ったら、問題が見えてくるし、
それをどうにかしたいという気持ちも湧いてくる。
でも、「自分の心に問題はない」
と思っていれば、問題は見えない。
要するに、自分次第なんだと思う。
ただ私は自分の人生を生きているいじょう、
常に自分の心をチェックしたいし、
成長したいと思っている。
だから、
自分の心にいつも何が起きているか、
どんな感情の動きが起こっているか、
見ている。
でもこれって、
自分のためにもなるし、
自分の周りにいる人たちのためにもなるんだよね。
時に自分が変わることで、周りも変わったりする。
それは社会をも変える大きな力にもなると思う。
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November 01, 2007
「隠れている悲しみの気持ち」

「隠れている悲しみの気持ち」 By Saya
最近気付いた事があります。
うちら人間は、この世界で生きているいじょう、
誰かを責めたり、裁いたりしてしまう。
「責めたり、裁いたり」する人を見ると、
とても嫌な人、怖い人のイメージが付きやすい。
でも、多くの場合、その攻撃的な気持ちの裏には、
「悲しみ」がある。
人は何か悲しいことを体験すると、
それがいつの間にか「責め、裁き」になる。
私自身も、時々誰かを責めたり、
裁いたりする気持ちがわき上がってくる。
なぜ、自分がその人に、
そんな事を思ってしまうのか、考えていると,
涙が出てくるときがある.
それはその裏側に「悲しみ」があるから。
悲しい体験が、
いつの間にか人を責める方向に変わっている。
なので、もし自分の中に、
「責め、裁き」って言ったような気持ちがわいてきたら、
自分に問いたざしてもいいかもしれない。
「どんな悲しみを体験したの?」
と。
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October 23, 2007
「頼るのではなく、利用する」

子どもが親に甘えること、
頼ることを、
多くの人が悪い習慣と決めつけている。
そのために、
子どもはがまんして、大人の振りをする。
甘えずにがんばることが美徳と考えることで、
子どものココロの中に
大きな空洞をつくってしまう。
今日の話題は、頼ること。。。。。
しばらく、このことを考えてみよう!!
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