集団イジメと戦う 服部雄一
November 26, 2007
「集団イジメと戦う」(最終回)服部雄一

ふだんの自分ならば解雇に抗議する。
しかし、私はこれが辞め時と思った。
私は海外生活が長く、色々な人たちに会ったが、
こんな集団のイジメを体験したのは初めてである。
J学院の講師たちはリーダーを恐れて
自分の意見さえ言えなかった。
彼らには人間としてのモラル、
感情、
そして自分の意志が欠けていた。
あたりさわりのない話題しか話さない講師たちは、
恐怖心だけで動く集団のように見えた。
私が脅かせば彼らを支配出来る。
しかし、
私はこんな人間のヌケガラと一緒に仕事する気持ちはなかった。
私は解雇通告の二日後にJ学院を去った。
余談になるが、
これが狭山心理研究所の始まりである。
解雇された後で心理相談室を開いたのである。
かなり後で気づいたことだが、
日本人の対人恐怖は
「善悪のない集団への恐怖」と大きな関わりがあった。
(最終回)
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November 19, 2007
「集団イジメと戦う」(5)服部雄一


服部をイジメると
会議の席で吊るし上げられる、
小林と吉田は服部から痛い目にあった、
そんなうわさが学院中に広がると、
集団のイジメはすこしずつ消えていった。
どの講師も私に愛想が良くなり、
私を無視する者はいなくなり、
挨拶もふつうにするようになり、
質問にも答えてくれた。
私への恐怖が講師たちの態度を変えたのだ。
入社して10ヶ月目に平和が来たのだった。
その頃には、私は
集団のイジメでヘトヘトに疲れていた。
ここで万事めでたしと言いたい。
しかし、この話にはオチがある。
組合運動が落ち着いたある日、
社長は私を呼び、
「服部君、組合が協力することになった。
君には悪いが学院を辞めてもらいたい」
とニコニコ顔でいった。
私は唖然としたが、
組合が協力すれば私は社長にも組合にも邪魔な存在だった。
小林が私と社長室長をひどく憎んでいたから、
組合が協力する時に、
私たちの解雇を要求したのは間違いなかった。
事実、同じ日に組合派と戦った社長室長も首になった。
(最終回につづく)

November 12, 2007
「集団イジメと戦う」(4)服部雄一


数日後、
M分校の講師会議に出席した時、
私はいきなり
「吉田さん、あなたに聞きたい事がある」
と言うと、全員が沈黙した。
講師たちは私が小林とケンカしたことをすでに知っていた。
「あなたは僕がJ学院をつぶすと言い広めている。
それは事実か?」と聞くと、
彼はすぐに「そんなことは言ってません」と否定した。
吉田が私を中傷するのは誰もが知っている。
彼はこうして皆の前でウソをつくはめになった。
「あなたと二人きりで話したい。外に出てくれないか」
と彼を連れ出すと、
他の講師達は不安そうな目で見ていた。
やはり、私が予想した通り、
講師たちは吉田を助けなかった。
彼らは私を恐れているのだ。
二階の教室に入ると、
吉田はかなり緊張していた。
私に殴られると思っていたようだ。
しかし、私がしたのはたわいのない世間話だった。
他の講師の前で恥をかかせたので、
彼をこれ以上傷つける必要はなかった。
私は彼の胸を指でつつきながら、
「僕に不満があるならば直接言ってくれ。
陰で言わないでほしい」と、
彼の目をしっかりと見て言った。
彼が黙ったままなので、
「返事がないよ」と言うと、
「はい、分かりました」と答えた。
これで充分である。
この事件のうわさが社内に広がるはずだった。
(つづく)
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November 05, 2007
「集団イジメと戦う」(3)服部雄一

小林はK駅の近くにある分校のリーダーである。
そこで英語を教えた日、
私は講師会議に出席して小林に議論をふっかけた。
「僕は今、講師達から無視されている。
それは小林さんが指示したのか?」と訊くと、
小林は否定した。
私がすかさず「あなたは組合に反対する者を脅している。
組合運動に参加しない自由もあるはずだ」と言うと、
小林は「服部さんのような人がいるから
労働条件が改善されない」と反撃した。
彼の議論の仕方は、
自分に都合の悪い話題を議論せず、
つねに相手を責めるやり方だった。
小林と私だけが発言して他の講師たちは黙っていた。
奇妙なことに、
誰も小林の味方をしなかった。
私の観察では、
組合派は表向きは小林に従うが、
状況が悪くなると自己保身に走る傾向があった。
結束の弱い集団ならば一人ずつ倒せばいい、
私が一人を攻撃すれば仲間は助けないかもしれない。
もしそうならば、
相手の数が多くても一人で戦える可能性があった。
これに気づくと、
私は次のターゲットを吉田という男に絞った。
私がJ学院を潰していると中傷する人物である。
(つづく)
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October 29, 2007
「集団イジメと戦う」(2) 服部雄一

「集団イジメと戦う」(2)服部雄一
しかし、孤立した社長派が私に接触し始めた。
新入社員の私は何度も社長室に呼ばれて
「服部君の意見を聞かせてほしい」
と専務や社長室長に相談された。
私は彼らの話を聞くだけだったが、
組合派は社長室に出入りする私を
敵と考えるようになった。
そして、ある日、気づくと、
私は集団のいじめのターゲットになっていた。
出勤した私が挨拶すると職員は返事をしない、
講師たちは仕事に必要な情報を与えない、
質問すると答えなかった。
話しかけると無視されるので
話し合いが出来なかった。
しかも、私がJ学院を
潰すつもりだという根拠のない中傷が広がった。
私は本社に駐在したが、
英語講師として組合派の分校で教えねばならず、
分校に行く度は気分が落ち込んだ。
ともかく自分一人で
20代、30代の若者の集団と戦わねばならず、
私は戦い方をあれこれ考えた。
集団のケンカではリーダーを倒すのが一番効果がある。
リーダーを倒せば部下が怖がるからだ。
私はまずグループリーダーの小林と対決を決心した。
小林は周りの人間を上手に動かす能力があった。
強引な性格なので、
彼が主張すると誰も反論できなかった。
彼の行動を見ていると、
学校時代にクラスメートを使って弱者を
イジメた経験があるのは間違いなかった。
(つづく)毎週月曜日
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October 22, 2007
集団イジメと戦う(1)服部雄一

毎週月曜日は
久々にインディが
日本で経験した
仕事場での「集団イジメ」を
どのように克服したか
連載で書いてくれることになった。
(連載 6回)
「集団のイジメと戦う」(1)
1992年、
私は家族と供にアメリカ留学から帰国した。
日本で心理カウンセリングの仕事をしたいと思ったが、
当時はそんな仕事が見つからず、
とりあえずT市のJ学院に就職した。
J学院は所沢に本社をもつ
合格率の高い進学塾として知られていた。
中高生に英語を教える仕事は気楽なもので、
私は出勤前に妻とデニーズ朝食を楽しんだり、
休日に子供たちを遊園地に連れて行った。
アメリカの貧しい学生生活から解放されて、
日本で給料をもらえる身分になったのである。
私は42歳になっていた。
しかし、二ヶ月後、
そんな楽しい生活が壊れてしまった。
J学院に組合結成運動が発生したのである。
29歳の小林(偽名)という若者が
労働組合運動を始めてから、
J学院は社長派と組合派の二つに分裂した。
小林が率いる組合派が勢力を延ばすと、
40名くらいの若い塾講師たちは三つの分校を支配した。
そして、所沢本社の社長派は、
社長、専務の妻、社長室長の3名だけになった。
私は中立を保っていた。
組合運動には興味がなかったのである。
(つづく)












